最終更新 09/08/17
思い出話と決意



あれから2年・・・

おもいっきり私事ですが、8/17をもって卍白法高志卍は2歳になりました。

別に2レベルって意味ではないですよ。キャラ作成日が2年前の8/17なだけです。

ちなみに、キャラ作成日はクエスト完了欄のメイプルアイランドの所を見れば分かりますよ。 クエを一つも受けずにメイプルアイランドを出たキャラは無理ですけど。

月日が経つのは早いですね、もう2年ですか・・・。


思えば2年前、半年以上放置してたメイプルを暇つぶしに始めたのがキッカケでした。
(メイプルを初めてインストールしたのは3年前。半年ぐらいやって放置しちゃったんですよね)

既存のキャラに対する愛着はとうに無くなってて、新しく作ったのがこの「卍白法高志卍」でした。
聖魔にした理由はグルクエで皆を守りたかったから。それだけ。
私にとって初めてのオンラインゲームでしたから、誰かにお礼を言われる事にいたく感動してしまったんですよね。
オフラインゲームのCPUが言う「ありがとう」とは全く別次元に感じました。画面の向こうに人間がいる感覚が芽生えました。



「自分には聖魔が合っている」。そう思いました。大げさに言えば『天職』ですね。
グルクエは勿論楽しかったのですが、聖魔という職が面白すぎて、気付けばメイプルストーリーを毎日やるようになっていました。
まぁ、毎日とはいっても長くて2〜3時間て所だったんですが。
始めて4ヶ月ぐらいで80あたりまでいったんだったかな。ほぼグルクエでレベル上げてましたからねぇ。
なんせ、「(グルクエの)住人」って呼ばれてましたから・・・。どんだけやってるんだよ。

オルクエもロミジュリクエも、今みたいにホルスの目なんて実装されてませんでしたから、ホントにグルクエが好きな人が 集まってやってたので、友達も結構できました。類友って感じですね。
今ではその頃の友達も大分いなくなってしまいましたが、未だに録のあってINする人もいます。



1年前の8/17に私は4次転職しました。わざわざ8/17にあわせた点は私らしいですね。
正直、グルクエの無い86レベル以上は辛かったです。ソロで狩ってるのも姫に行くのも。
レベルが高いことに対するデメリットをありありと感じました。狩りが作業になってきている・・・

それでも4次転職して新スキルを得たら何かが変わるかもと信じ、ひたすらレベルを上げていきました。
90〜110レベルあたりは特急で通過したので思い出がほとんどありませんねぇ。
まぁでもレベルを上げる事をゲームの本質とするなら最もその本質を堪能した時期ではあるのでしょう。狩りを通じた友達も このころが一番多かったです。


4次転職後はホントに色々やってました。狩れない敵がほとんど無いに等しかったのでいろんな狩場を巡ってましたね。
エリアボス巡りをよくやっていたんですが、次第にもっと強い奴と戦いたくなってきて・・・。
ビシャスやジャクムなどのボス戦は何度か参加させて頂いてはいましたが、一人で倒してみたいなと。


私は聖魔で、いわゆる戦闘職ではありません。ボスに有効な攻撃スキルだって、バハムートやエンジェルレイのみ。 普通に考えたら、ボスをソロでバンバン倒していくのは無理です。そういう仕様なのだから。

・・・でも倒したかった。時間はどんなにかかってもいいからとにかく一人で倒したかった。

魔は最大HPが低い為、ボスではMGをかける事が多かったが、火力が無く、いつ終るかわからない戦いにMGなどかけていられない! かといってHP装備で望むとただでさえ無い魔力がさらに無い。
どうするか・・・。


で、テクニックで補うかってなったんですよね。

「火力が無いなら時間をかけろ、HPが無いなら当たらないように避けろ、テクニックが無いなら修行しろ。やる前から諦めるんじゃない」

自分に言い聞かせてきた言葉の一つです。昔誰かに言われたんだっけか。
火力やHPは強化品でどうとでもなるけどテクニックだけは時間をかけざるをえないですよね。
なら私はテクニック重視のビショップになる。単に「慣れた」動きではなく、「知り尽くした」上での動きを魅せるビショップになる。
言うなれば、テクニカルビショップ

だけど、ただ単にテクニックを身につけるといってもテクニックにも種類がある。
私が重視していくのはソロボスでのテクニック、言わば、ボスレイヤーだ。


こう決意したのが130レベルぐらいだったかと思います。
09/08/17現在156レベル。130レベルからだと10ヶ月程度過ぎました。いまだにボスレイヤーに転職は出来なさそうです。
せめてワルメンボウはソロで倒さないと!



「聖魔」として

「魔」という字は魔法使いの略として使われていますが、「魔」そのものの意味としては【人の善事の妨害をなすもの】【不思議な力をもち悪事をなすもの】 となっています。
それは「聖」の【けがれなく尊いこと】の意味の対になっているような気がします。(厳密には対ではないですし、白法がそう感じただけですが)

「聖」と「魔」の相対する語で表されるクレリック、プリースト、ビショップは「聖」のみにも「魔」のみにもなれます。
ボス戦に限らず補助のみで育成することも、ジェネシス連打で育成することも、どちらも可能です。
それはその人の個性であり、誰に咎められることもありません。「魔」の意味だって、モンスター側からすればこちらの行為が悪事なのは当たり前 で、それをこちら側が非難することは出来ないでしょう。

これは酷い



私は、「聖」の魅力も「魔」の魅力も十分考慮した上で、「聖魔」として生きる事を決めました。
補助もでき、敵の殲滅もできる。それは完璧になるか、どちらも中途半端に終るかの茨の道。
片方によらず、両方習得してみせる。これが私の個性。

おそらく多くの人も「聖」や「魔」に偏る気は無いと思います。(「魔」の方に偏る人はそれなりに多いかな?)
ですが「聖魔」として生きる事に対する意気込み、のようなものも特に意識はしていないと思います。

それでも構わないですよ?ゲームですから。ですけど、MMOというのは人が集まって作り上げるゲームですから、 現実とごっちゃになってしまうところが出てくると思います。
ごっちゃになった意見に流されたくないのなら、自分の個性を自分で認識しておく必要があると私は思います。
例え周りの意見や、情報に左右され作り上げたものでも、それを自分で個性と認識できればそれでいいのです。


自分は「聖」なのか「魔」なのか、「聖魔」なのか。それともまた別の何かなのか。


2年前から順に思い出していた白法はいつの間にやらこんなことを考えていましたとさ。



考えたついでに思い出した、私が好きな言葉を一つ。

Time is, Time was, Time is not.
「時はあり、時ありき、時はなし」

今、この文字を見ている「時」も、メイプルをしている「時」も、「ある」ものであり、「あった」ものであり、「ない」ものでもある。
それを決めるのは、自分。

ありきたりな文ではありますが、自分への再確認的に捉えていただければいいかと。


※上記のTime is ...と、「時はあり・・・」の出展は筒井康隆様原作の「時をかける少女」ですが、解釈は私が勝手に考えたものです。 もっと違った捉え方もできますが、文の流れ的にこの解釈の方がいいかと考えました。ご了承下さい。


これからは

とりあえず、ソロワルメンボウ討伐を目標として頑張りますが、レベル上げではなく装備の充実に重点を置いていこうと思います。
それと、グルクエ用サブの育成も本格的に頑張っていこうかと。


メインキャラの育成も完全に止めるつもりはありませんし、イベントで経験値2倍とかあれば、メインでINすると思います。
ですが、さすがに普段からINする事は減るかもしれないですね。ロミジュリクエ用のキャラさえできればまた戻ると思いますけど。


ちなみに、今現在のサブキャラで連絡可能な(倉庫でない)キャラは、「卍白法高志卍」、「十白法高志十」、「一白法高志一」です。
非常に分かりやすいですね。倉庫キャラの方が名前凝ってたりします。

基本的に、「白法」の字が入って無いキャラは育成しないので、もし白法っぽい人がいても名前が違ったらスルーしてください。


今後実験しようかと考えている事。
あ〜でも誰か既にやってそうな内容が多いな。
ガシャポンの実験は少なくとも全chやらないといけないから、実験数×10(けやきは10ch)でポイントすごい使うから誰もしてないかも。
というかここに書いてあることってホント前々から考えている事にも関わらず、実践してないんですよね。
5月は「あ〜ファミリーシステムか。ちょっと調べてみようかな」でこんなに書いてるし、
6月は「道場キタ!攻略してやる!」って意気込んでる内に記事書いてるし。


曖昧で分かりにくいものより、ハッキリしてるシステムを解明、攻略する方が好きなんだろうね。
というわけで、上記のものが実験される時は分かりません。最新のパッチが何の魅力もなかったら手をだそうかな、程度の意気込み。